俳優・大森南朋さんの父親は、舞踏家であり俳優としても活躍している麿赤兒(まろ あかじ)さんです。
独特の舞踏スタイルを確立し、日本のみならず世界で活躍を続ける麿赤兒さん。
そんな芸術家としての父の背中を見て育った大森南朋さんは、現在、幅広い役柄をこなす実力派俳優として注目されています。
この記事では、二人の親子関係や共通する芸術的な感性に迫ります。
- 大森南朋の父親の経歴
- 大森南朋と父親の共演作品
- 大森南朋と父親の親子エピソード
大森南朋の父親は麿赤兒!舞踏家であり俳優でもある
唐十郎の息子は、
— chin_coro (@chinchin_coro) May 5, 2024
大森南朋ならぬ大鶴義丹。
で、大森南朋の父親は麿赤兒。
大森南朋さんのお父様は、舞踏家であり、俳優としても活躍されている麿赤兒(まろ あかじ)さんで本名は大森宏(おおもり ひろし)です。
麿赤兒さんは、1943年に石川県金沢市で生まれ、若い頃から演劇や舞踏の世界で才能を発揮してきました。
麿赤兒の舞踏家としての経歴
大駱駝艦・天賦典式 クレージーキャメル
— ★しほ2号 (@shiho2go) July 13, 2024
見てきた!生麿赤兒を見た!思ってた以上にバレエやった
というかこの数十年でコンテンポラリーバレエが舞踏に影響されたんやろな〜
迫力あって面白かった。女性たちちゃんとトップス着てはってよかった
神戸文化ホールもうすぐ取り壊しらしいので名残惜しい pic.twitter.com/xidgDcBvP9
彼は1965年に唐十郎さん主宰の劇団「状況劇場」に参加し、舞台俳優としての第一歩を踏み出しました。
さらに、1966年には日本を代表する舞踏家である土方巽さんに師事し、舞踏という独自の芸術表現を深く追求されました。
1972年には、自ら舞踏集団「大駱駝艦(だいらくだかん)」を旗揚げし、国内外で公演を行いながら、舞踏というアートを世界に広めたのです。
麿赤兒さんが提唱した「天賦典式(てんぷてんしき)」は、独自の表現スタイルとして高く評価されています。
麿赤兒の俳優としての活躍
『翔んで埼玉』、埼玉から謎司令を送ってくる麿赤兒の存在がよかった 郷土愛も自由平等友愛の理念も説明がつくが麿赤兒はなんというか説明がつかん 説明のつかんもんが最も強い
— 山本桜子🐓SakurakoYamamoto (@saqrako) April 8, 2019
麿赤兒さんは舞踏家としてだけでなく、俳優としても数々の映画やドラマに出演されています。
彼の演技は、独特の存在感と強烈な個性が特徴で、多くの観客の心に残るものばかりです。
代表的な出演作には、映画『翔んで埼玉』やドラマ『ルパンの娘』があります。
これらの作品で演じるキャラクターは一風変わったものが多く、まさに麿赤兒さんだからこそ演じられる役どころと言えるでしょう。
俳優としても「唯一無二」の存在であることが、彼の魅力をさらに引き立てています。
大森南朋と父親「麿赤兒」が共演した作品
『まほろ駅前狂騒曲』三浦しをん(文春文庫)#読了
— 綾 (@ayabowbow) December 4, 2023
え、これでシリーズ終わりなの?🥹
タイトルどおり、これはまさに「狂騒曲」だ。行天が登場した時点でそうなることはわかったけど、それにしてもすごい展開。
まほろの人達も相変わらず面白くて岡老人もパワーアップしてた。
最後の短編でも大爆笑🤣 pic.twitter.com/FdZhtUqbMy
大森南朋さんと父親の麿赤兒さんが共演された代表的な作品に、映画『まほろ駅前多田便利軒』(2011年)とその続編『まほろ駅前狂騒曲』(2014年)があります。
これらの映画は、長男である大森立嗣さんが監督を務めており、家族3人が関わったことで非常に話題を呼びました。
『まほろ駅前多田便利軒』は、三浦しをんさんの同名小説を原作とし、東京近郊の架空の街「まほろ市」を舞台にしたヒューマンドラマです。
映画の中で、大森南朋さんと麿赤兒さんは、重要なサブキャラクターを演じ、それぞれの個性を存分に発揮しています。
続編の『まほろ駅前狂騒曲』では、前作以上にキャラクター同士の関係性が深掘りされ、二人の共演シーンがさらに印象的に描かれています。
麿赤兒さんの独特な存在感と大森南朋さんの繊細で自然な演技が見事に融合し、観客に強い印象を残しました。
家族でありながら、それぞれがプロフェッショナルとして演技に向き合う姿勢が、作品の質をさらに高めたと言えるでしょう。
また、この家族3人が同じ作品に関わったことで、「親子でどのように仕事をしているのか」「家庭での影響はどの程度なのか」といった興味も、視聴者の間で広がりました。
大森家が持つ芸術一家としての独特な雰囲気が、映画全体にも良い影響を与えたことは間違いありません。
これらの作品は、親子の絆や家族が持つ力についても考えさせられる貴重な共演作と言えます。
大森南朋と父親「麿赤兒」の親子エピソード
大森南朋を見る度に、男は歳をとるにつれて父親に似ていくものなのだろうと思ってしまう。
— タカラカニ・エンゼッツ (@nsetz) May 31, 2023
大森南朋さんとの父親の間では、以下のような親子エピソードが有名です。
- 幼少期の親子の独特なスキンシップ
- 俳優への道を開いた父の一言
それぞれどのようなエピソードか見ていきましょう。
幼少期の親子のスキンシップ
大森南朋さんが幼い頃、父親の麿赤兒さんは独特な方法で愛情を表現されていました。
例えば、麿赤兒さんが自身の腕を息子に噛ませ、その後、息子の頭を噛み返すというユニークなスキンシップを行っていたそうです。
このようなやり取りは、親子間の深い絆を築く一助となっていたのかもしれません。
俳優への道を開いた父の一言
高校時代、バンド活動に熱中していた大森南朋さんは、卒業後も定職に就かずに過ごしていました。
そんな息子を見かねた麿赤兒さんは、「ちょっとうち来い」「役者になる気あるか」と声をかけました。
これに対し、大森南朋さんは「いいよ~」と軽いノリで応じ、これが俳優としてのキャリアの始まりとなりました。
父親の一言が、息子の人生を大きく変えるきっかけとなったのです。
大森南朋の父親についてのネット上の声
大森南朋さんの父親についてのネット上の声を集めました。
大森南朋さんの父親が麿赤兒さんだと知らなかった!という声が多くありました。
大森南朋さんの父親が麿赤兒さんだと今知った😱
— IkukoAsai (@ocyarasan) January 10, 2023
麿赤兒さんが大森南朋の父親であると広く知れ渡ったのはTV番組の「ファミリーヒストリー」がきっかけのようです。
麿赤兒さん、どっかで、見たような…、ドラマ、優しい時間の陶芸家のおじさんだったな。大森南朋さんの父親とか全然知らなかったな。
— きじしろねこ (@feb_emmy) February 20, 2023
まほろ駅前多田便利軒昔広島市の映画館で見た記憶がある。良かったと思う。#ファミリーヒストリー
たしかに独特な芸風が目立つ麿赤兒さんが、大森南朋さんとは考えにくいかもしれませんね。
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